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自立と依存

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あなたは「自立」という言葉から何をイメージするだろうか。

 

わたしは経済的・精神的・日常的(生活面)自立を思っていた。

つまり、自分が(自分が納得する質の←ここ大切)生活(衣食住)を自分の稼いだお金ですることができ、自分で選択できる自由があり、自分で決断ができ、自分の選択に対して責任を持つことができること。

 

ネットで自立とキーワード検索しても、ほとんどが同じようなトーンの定義であった。

依存・受け身から脱し、主体的に自分の足で立つこと、と説明している。

 

でもね、熊谷晋一郎さんのインタビュー記事を読んで、自立と依存に対する考え方や捉え方がずいぶんと変わった。

 

まずは熊谷さんの言葉をぜひ読んでもらいたい。

「自立は、依存先を増やすこと
希望は、絶望を分かち合うこと」

 

わたしたちはさまざまなモノに依存していて生活しているが、その一つひとつの依存先への度合いが浅いために、何にも依存していないかのように錯覚しているのだという。

 

“障害者”というのは、「依存先が限られてしまっている人たち」のこと。健常者は何にも頼らずに自立していて、障害者はいろいろなものに頼らないと生きていけない人だと勘違いされている。けれども真実は逆で、健常者はさまざまなものに依存できていて、障害者は限られたものにしか依存できていない。依存先を増やして、一つひとつへの依存度を浅くすると、何にも依存してないかのように錯覚できます。“健常者である”というのはまさにそういうことなのです。世の中のほとんどのものが健常者向けにデザインされていて、その便利さに依存していることを忘れているわけです。

 

実は膨大なものに依存しているのに、「私は何にも依存していない」と感じられる状態こそが、“自立”といわれる状態なのだろうと思います。だから、自立を目指すなら、むしろ依存先を増やさないといけない。

 

震災などで日常生活のリズムが大きく崩れたときに、自分の生活はいろいろなものに依存して成り立っていることを再認識することは多い。

 

違った角度から見ると、こうも「自立」の定義が違うし、そして依存に対する考え方も新鮮だ。

 

自立という言葉を、個人という枠組みだけで考えていた自分の浅はかさを思い知った。

 

もちろん経済的・精神的・生活面での自立も大切だけど、もっともっと大きな枠組みや視点で見たとき、実は自分はいろいろなものに助けられてるんだな、生かされているんだな、と実感する。

自然と感謝の気持ちが湧いてくるよね。

 

 

 

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