すべてはカラダにあらわれる
4−5年前くらい前に、あることに気がついた。
その頃のわたしは、「上半身が前へ前へと突っ走るのに、下半身が置いてきぼり気味」ー そんな形容がピッタリなカラダの使い方をしていたのだ。
ヨガをしているときも、水泳をしているときも、デスクワークをしているときも。そんなカラダの使い方をしているから、どことなくバランスが悪いといつも感じていた。
その頃は自分の人生のなかでのひとつの大きな節目の時期で、「これからのこと」「未来のこと」ばかり夢中で考えていた。意識が「いま」ではなく、つねに前へ前へ先へ先へと向かってしまうときだった。
もしかしたら、その頃のわたしは実際に上半身が前に傾いていたのかもしれない。
気は頭にのぼりがちで、足が地についていない状態だったのだろう。あるときそんな自分にハタと気がついて愕然とした。
カラダには、その人のココロの状態や思考の傾向、性質が如実にあらわれる。
こんなこともあった。
ヨガセラピーのトレーニングをアメリカで受けているときのことだ。
アーユルヴェーダの授業のときに、3つのドーシャ(体質のようなもの)で、ある特定のドーシャの数値が極めて高い人をドーシャ別に選んで、ヨガの同じポーズをとってもらった。3人がとったポーズを同時に比べると、ドーシャの特徴があまにりも正確にそれぞれに反映されていて、見ている生徒全員で爆笑してしまったほど。
その人の日頃の姿勢・態度・性質が見事にポーズにあらわれていた。
わたしは常々、人の生き方は顔にあらわれる、と感じているのだが、それはカラダにもあらわれているのだと思うようになった。
心身一如
カラダってつくづく面白い。
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