内側の声を聞く
「いいよ、いいよ」
かすかな意識のなかで、わたしは自分が優しくそう言うのをはっきりと聞いた。
すべての答えは自分のなかにある。
わたしはこれを信じている。
心地良いことを選択していれば人生豊かに生きることができると信じている。そしてその「心地良さ」はその人しかわからない。だから答えを外に求めるのではなく、自分の中にあると信じて自分の内側に聞くのだ。
選択するとき、決定するとき、迷ったときに、わたしは自分の内側、正確には「カラダ」にたずねてみる。そして、カラダが心地良く感じるほうを選択するのだ。
これは全ての人にぜひ試してほしい。
何かを選択するときなど、カラダにたずねてみると、必ずカラダが反応してくれる。
心地良い、気持ちいい、温かい、軽いなど、これはOKサイン。
なんか固まった感じ、しめつけられる、重い、どこかがつる、など感じるときはNGサインと思っていい。
昨晩寝る前に、抱えていたある重要な疑問に対して、わたしはカラダのサインではなく、もっと明確ではっきりとわかる、間違えようの無い答えを示してくれるように自分の内側に求めてみた。
そうしたら冒頭の反応がかえってきたのだ。
その出来事のあと、またすぐにぐっすりと眠っていた。今朝目覚めたときは、自分が「いいよ、いいよ」と言ったことだけをはっきりと覚えていた。
夢見てねぼけていたんじゃないの?
そう思われる方もいるだろう。
でも、わたしはこれを内側からの明確で間違えない答えだと信じている。
だから、抱えていた重要な疑問はすっぱりと解決した!
もうスッキリこの上ない〜。
意識を自分のカラダや内側に向けるだけで、全てが違ってくるなんてなんてすごいことだろう!
あなたもぜひ実験してみてほしい。
練習を重ねていくとどんどん感覚も磨かれていくはず。
注意が必要なのは、頭で考えることをしないこと。
特になにかを選択したときに、その自分の決断を正当化するために、いろんなメリットを頭でつぶやいているときは、カラダでなく頭で選択した証拠。
自分のカラダの感覚を信じる。
自分の内側の声を信じる。
人間ってどれだけすごい可能性を持っているんだろう〜?!
どんどん試していこう!
カラダとココロを元気にするプログラム
性質と行動
今朝、ふと気がついたことがある。
人間の性質って基本的には変わらないんだな、と。
「性質」をウェブで調べてみた。
もって生まれた気質。ひととなり。たち。<デジタル大辞泉>
その人に生まれつき備わっている気質。人となり。天性。<大辞林 第三版>
(ここで「気質」も調べてみたが、どんどん探究のループにはまっていくので割愛しておく)
なぜ思いついたかというと、友人との過去の会話(複数)を急に思い出し、自分のコミュニケーションのクセが客観的に見えて(いつも見えているけど…)思考が動き出したから。
会話の中で、わたしは脊髄反射的に言葉を発してしまうことが多々ある。
猫じゃらしを見た猫がパッと飛びつくように、考えが入ることもなく反応してしまうのだ。
どれだけ「口は災いの元」を身をもって経験していることか…。
だから、気軽な会話でも慎重に言葉を発してる友人を見ると、明らかにわたしとは持っている「なにか」が違うと思っていた。
べつに良い・悪いということではなく、性質なんだな、と感じている。
(もしかして違う??)
そして性質は変えようとしてもなかなか変えられない。
悟りを開いた人ももともとの性質や性格は変わらないと聞いたことがある。
でも、性質は変えられないけど、行動は変えることができる!
過去に「口は災いの元」を数えきれないほど経験してきたわたしは、5−6年前から言葉を発する前に意識的な間(ま)を心がけるようにしてきた。
それだけでずいぶんと状況が変わったのだ。
以前、「インヒビション inhibition」についての記事を書いた。
まさしくこの「間」をとることを実践しているのだ。
意識的に行動することがとても大切。
自分が変わっていくことって、こういうプロセスなんだなと実感する今日この頃。
あなたは、自分のなかで変えたいところはあるだろうか。
性質ではなく、まずは行動に着目してみよう。
カラダとココロを元気にするプログラム
ネットとのつきあい方
ネットとのつきあい方をどんどん変えている。
外出先や移動時間での読書時間がまた復活したのはとても嬉しかった。必要以上にメールをチェックすることもなくなり、ぐっと気持ちが楽になった感覚も鮮明に覚えている。そう解放された感覚だったな〜。
SNSはFacebookしか利用していないが、そのFacebookもほとんど見ることをしなくなった。FacebookのDMで連絡してくる人が多いので、そのためにFacebookにアクセスするだけ。これはあくまでも、わたしのなかでのFacebookの位置づけが変わってきているだけなので、利用価値がないと思っているわけではない。
この2,3年、数日から数週間のあいだネットに一切接続しない期間を定期的に設けている。これはネットなしでも十分豊かな時間を過ごすことができる確認と、社会に蔓延するいろいろな価値観から距離を置くことにとても効果を発揮している。
そして、最近は「惰性」で続けてきたあらゆるメールニュースやメルマガを一切解約した。毎日届くビジネス系のメールニュース配信から、航空会社やお気に入りショップのお得情報メール、興味本位で配信申込をした不定期配信メールマガジンまで、全て解約・配信停止手続きをしたのだ。
自分が無意識にまとっていた重いコートを脱ぎ捨てたような感じで、とてもスッキリ!
こうやってネットを通して得る情報を「断捨離」していくなかで、自分にとって大切な情報を見極めやすくなった。
わたしたちはあらゆるものに影響を受けながら(そしてわたしたちも影響を与えながら)暮らしている。
自分が無意識に受け取る情報に対して、少しだけ意識的になるだけでその影響が変わってくるのではないか。
以下は、自分のネットとのつきあい方を見直すことについて考えるきっかけをくれるアーティクル(英語)。
普段の自分は時間をどう使っているのか、ぜひふりかえってみて!
Happy Rainy Wednesday!
カラダとココロを元気にするプログラム
願っていたものが実現する
思い立って、山のなか森のなか自然のなかで心地良い時間を過ごしてきた。
原生林のなかで、木々のあいだから朝日を浴びながら、水の音色を聞きながら、静かに佇んでいるだけで至福感をカラダいっぱいで感じることができた。
大自然のなかにいると、謙虚さが出てきて「わたしもここにいさせてもらいます」という感謝の気持ちが湧いてくる。そして、樹々や岩や苔や葉っぱや水と同じように、自分も静かに息づいていることを感じる。
3日間、山での光、緑、水、空気をたっぷり堪能して、カラダの細胞全てが活性化された。
わたしの人生のテーマは「暮らすように旅する」だ。
ここ6年ほど、ここに行きたいというところは、躊躇せず(お金も時間も気にせず)そこに行き、数週間から1ヶ月ほどの時間を過ごすようになった。
海外がほとんどだが、日本の美しさを感じる旅も大好き。
これからはその時間が数ヶ月と長くなる予定。
自分が直感で行きたいと感じた場所を訪れ、そこで地元の人たちと一緒に数ヶ月暮らす。そのような拠点が海外に少なくとも2つできる。
小さいころからの描いていた生活が実はもう実現している。
どんな願い・夢でも叶うという魔法のランプをあなたは手に入れた。
お願いできるのは3つまで。
さあ、あなたは何をお願いする?
その願いは本当に魔法のランプの力を借りないと実現しないものなのか?
実は、あなたの思い込みを外すだけで簡単にかなってしまうものだったりして…。
カラダとココロを元気にするプログラム
自立と依存
あなたは「自立」という言葉から何をイメージするだろうか。
わたしは経済的・精神的・日常的(生活面)自立を思っていた。
つまり、自分が(自分が納得する質の←ここ大切)生活(衣食住)を自分の稼いだお金ですることができ、自分で選択できる自由があり、自分で決断ができ、自分の選択に対して責任を持つことができること。
ネットで自立とキーワード検索しても、ほとんどが同じようなトーンの定義であった。
依存・受け身から脱し、主体的に自分の足で立つこと、と説明している。
でもね、熊谷晋一郎さんのインタビュー記事を読んで、自立と依存に対する考え方や捉え方がずいぶんと変わった。
まずは熊谷さんの言葉をぜひ読んでもらいたい。
わたしたちはさまざまなモノに依存していて生活しているが、その一つひとつの依存先への度合いが浅いために、何にも依存していないかのように錯覚しているのだという。
“障害者”というのは、「依存先が限られてしまっている人たち」のこと。健常者は何にも頼らずに自立していて、障害者はいろいろなものに頼らないと生きていけない人だと勘違いされている。けれども真実は逆で、健常者はさまざまなものに依存できていて、障害者は限られたものにしか依存できていない。依存先を増やして、一つひとつへの依存度を浅くすると、何にも依存してないかのように錯覚できます。“健常者である”というのはまさにそういうことなのです。世の中のほとんどのものが健常者向けにデザインされていて、その便利さに依存していることを忘れているわけです。
実は膨大なものに依存しているのに、「私は何にも依存していない」と感じられる状態こそが、“自立”といわれる状態なのだろうと思います。だから、自立を目指すなら、むしろ依存先を増やさないといけない。
震災などで日常生活のリズムが大きく崩れたときに、自分の生活はいろいろなものに依存して成り立っていることを再認識することは多い。
違った角度から見ると、こうも「自立」の定義が違うし、そして依存に対する考え方も新鮮だ。
自立という言葉を、個人という枠組みだけで考えていた自分の浅はかさを思い知った。
もちろん経済的・精神的・生活面での自立も大切だけど、もっともっと大きな枠組みや視点で見たとき、実は自分はいろいろなものに助けられてるんだな、生かされているんだな、と実感する。
自然と感謝の気持ちが湧いてくるよね。
カラダとココロを元気にするプログラム
サクサク動く
「これをしてみたい、あそこに行きたい
だけど…
時間が…、お金が…、家族が…、会社が…」
なんて迷宮にはまりがちな人がいたら、わたしは自信を持ってこう言いたい。
自分のカラダが反応したら、自分の内側が感じているなら、まずは動いてみてほしい。
それができるなら迷わないよ、なんて声が聞こえてきそうだけど、多くの人が頭で考えすぎていることを気づいていない。
メリット・デメリット
それをしたときの周りへの影響・周りからの評価(自分でなくてね)
目先の享楽との天秤
思考のループは永遠に続く
以前のわたしは「思考が頭からあふれ出ている」と指摘されたことがあるくらい、これからのこと(未来のこと)ばかり考えていた。
ココロの奥底で感じていた不安や恐れがあったので、思考まみれの状態から具体的な行動がなかなか起こせなかった。
本質から外れたコトはどんどんできるし、動けるし、実行していくのにね。
結局頭で考えているだけのときは、自分自身も状況も変えたいと思っていても全く変わらないということがつくづくわかった。
そして、本質の自分が感じていることをどんどん行動にうつしていくことがどんなに大切かということが、実際にやってみてカラダとココロで感じた、肚におちた。
自分の内側から感じたことを行動してみる。
すると言葉が変わってくる。出会う人も変わってくる。
そして思考が変わってくる。ココロが変わってくる。
自分の内側がなにかを感じているなら、サクサク動いてみて!
カラダとココロを元気にするプログラム